「国産はちみつ」高山陣屋前 朝市の地産グルメと味比べ
飛騨のかっぺたん
飛騨高山の有名な観光地の一つに、高山陣屋があります。
高山陣屋(たかやまじんや)は、江戸幕府が飛騨国を"天領"=直轄領として管理するために設置した"代官"=代官所・郡代役所(陣屋)です。
代官所といえば、やっぱり
悪代官ですが、どこにも悪いやつはいるもので、、。
第13代飛騨郡代に、大原紹正の子である大原亀五郎正純が就きましたが、大原正純は、私利私欲に走り、過納金(米一俵につき30~50文を過納し、納め終わると、百姓に返す金)を返さず、また村々から618両を借り、さらに幕府が天明の大飢饉対策としての農民に対する年貢の免除分を取り上げ、自分のものとしてしまうなどの悪行三昧で、後に天明騒動と呼ばれ役人側には多数の処罰者を出し、悪政を幕府側に提訴し続けた農民側にも、多くの犠牲者がでる騒動が起きるきっかけをつくりました。
陣屋とは、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所で、御役所や郡代(代官)役宅、御蔵などを総称して陣屋と呼びます。飛騨代官は安永六年(1777)に飛騨郡代に昇格し、当時3ヵ所あった郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。
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幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけです。全国で唯一建物が現存する遺構で、昭和4年には国史跡に指定されました。
直轄領とは、江戸幕府直轄地で、幕府の経済的基盤をなした領地を言います。なぜ幕府は天正十四年(1586)から金森氏が6代(106年間)にわたり支配してきた飛騨の国に着目し、元禄五年(1692)に直轄領としたのでしょうか。
その理由は、豊富な山林資源(木材)と地下資源(金・銀・銅・鉛)であったと言われています。
高山陣屋は、高山城主金森家の下屋敷(向屋敷)として使われていましたが、
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直轄領となってからは陣屋として代官や郡代がここで飛騨の政治を行いました。
以来、慶応四年(1868)に至るまで176年間、江戸幕府は25代の代官、郡代を派遣して飛騨の国を支配してきました。
明治維新以後、陣屋の建物は高山県庁舎等として使用され続けました。
昭和44年に飛騨県事務所を移転した後、岐阜県教育委員会は高山陣屋の保存に乗り出します。工事は平成8年3月までかかり、足かけ16年の歳月と、約20億円という費用をかけて復元されました。
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こうして江戸時代の高山陣屋の姿がほぼ再現されたのです。
もう一つ、高山陣屋といえば、陣屋前の朝市です。
陣屋前広場では、午前6時頃から午前12時頃まで朝市が開かれています。
飛騨の民芸品、朝採れの新鮮な野菜や果物、そして漬け物などが売られています。
飛騨弁丸出しのおばちゃんたちの、威勢のいい声が響き渡り、飛騨高山の一日は始まるのです。
こちらも、高山朝市に並べられる品には負けてません!
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